top of page
検索
  • 執筆者の写真雅 -masa-

soundscape no.2


こんにちは!

前回は、『人間の大前提』について、

生命エネルギー体、チャクラ、そして肉体、どれか一つでも欠けていては、私たちは成り立たないとお話しさせていただきました。

チャクラは、その中でも管理・制御を司る、パソコンで例えたらOSでしたね。

今回は、そのチャクラの構造と、そのチャクラが流れをコントロールしている生命エネルギー体について、深堀していきたいと思います。


チャクラを検索すると、よく「蓮」の花に例えられているのを目にします。

みなさん、「蓮」の花、どんな花か頭に浮かびますか?

なんとなく…‥という方、「蓮」の花はこちらです。



梅雨が明けた7月後半ごろ、公園の池の中から真っ直ぐに伸びて咲く「蓮」の花が、全国各地で見頃を迎えます。

これとよく似た花で、「睡蓮」があります。

「睡蓮」がこちら。



この2つの花を見分けるポイントは、

「蓮」は、花の咲き方で、茎があり、花も葉も水面より高い位置にある。

「睡蓮」は、花と葉がともに水面に浮かんでいるような姿で咲いているそうです。

そして、

「蓮」は花が咲き終わると花びらが散り、『果托(カタク)』というものができます。そして、沼の下の泥に広がっている地下茎はみなさんが口にする蓮根(れんこん)です。

「睡蓮」は花が咲き終わると閉じて水の中に沈んでいくそうです。地下茎はワサビのような根があるだけで、食用ではないそうです。


また、仏教で仏様が座る蓮華座として知られているのは、「蓮」です。


で、

実は、この、「蓮」の『果托』が、チャクラとそっくりなのです。

花の中心に注目してください。


花の時からもうありますね。

そして、その花の横、 『果托』です。

もしかしたら、ドライフラワーになって売られているほうが馴染みのある方、多いのではないでしょうか。




そして、アメリカの著名なヒーラー、セラピストであり、科学者でもあるバーバラ・アン・ブレナンの、人間の体を包むエネルギーやチャクラが実際の肉体と大きく関わっていることを記した著書「光の手」の中で描かれているチャクラの図がこちら。


まさに、『果托』にそっくりではありませんか?



そしてさらに、『果托』では穴になっている部分(そこには種子が入っていました)、そこもそっくりですね。

簡易な絵にしてみるとこんな感じでしょうか。


チャクラとは、古代インドのサンスクリット語で「車輪」を意味します。

「車輪」というくらいなので、くるくると回るんでしょうね。


そうです。この穴のような部分が、実際にはそれぞれ小さな渦になっていて、赤色で示したような動きでエネルギーが入っていくそうです。


そして、この小さい渦の外側に外枠のようなものがあり、これはエネルギーがチャクラに入っていくときに外周を大きく回っていく流れができるので、外枠があるように見えるものだそうです。



この渦の働きによって、生命エネルギーの流れがコントロールされています。


そして、さらに、チャクラにはそれぞれ色があり、渦の数や、回転スピード、音の高さなども異なるそうです。



色があったり、渦の個数まで分かったりと、バーバラ・アン・ブレナン氏には驚きですね。


私にはオーラも見えませんし、スピリチュアル感覚も疎いので、これらが必ずしも正しいとは言い切れません。

しかし、これらが“ある”と仮定したほうがすんなりと納得できる体験があります。


それは、

私がお風呂に入り、湯船に浸かろうとした瞬間、腹の底あたりから背骨に、何かが湧き上がってくるのを感じました。

それはすごい勢いで背骨に沿って駆け上がり、首の後ろ、付け根辺りから流れ出し、湯船にたまっていきます。

目には見えません。

しかし、腹の底から湧き上がる“それ”の勢いはしばらく続き、背後で二手に分かれて流れ出る感覚は、まるで背中から大きな羽が生え、その羽がみるみる大きく、足元まで広がっていく感じです。

その時の私の率直な感覚としては「背中、どーなってる?」「湯船からあふれそう…」でした。


その何年か後、チャクラが見えるヒーラーさんにみてもらう機会があり、その方が仰るには、

私の後ろの第5チャクラが2つに分かれていて、形がこんな感じになっている…と、両手で、こう…、と示してくださいました。

その方に、湯船での件は話したことはありません。

ですが、そのとき、私は「なるほど、そういう事か…」と妙に納得できたのです。


「は?? …で、結局どういう事?」とお思いの方……


ですよね(笑)


正直、私も正解は何一つ分かりません。

しかし、背骨に沿って流れるエネルギーは確かにあり、その流れは下から上、ふた手に分かれた、流れ出た後は体感もできた、という事実の体験があったのです。

“ある”としか言えません。




次回からがっつりとお話しする予定ですが、チャクラにはそれぞれ特徴的な意味があります。


第5チャクラ、特に後ろ側には、

自分だけの独自なメッセージを世に発すること、

というのがあります。


ちょうど私がそのお風呂場で体験をした時期というのも、

自身の使命に気付く原点といえる経験をしている真っ只中の頃でした。

自分の幼い時の経験を題材に物語を書き、その本の推敲作業をしていた頃です。

(ちなみに、以前の私には、不機能家族で育ったという記憶や、いつも私を悩ませてくるインナーチャイルド、希死念慮、自己否定などなど、メンタル的病名がつくような症状がありました。昔…、ですよ)


昔の出来事を説明するのに、簡潔に説明しようとすると、私にはその出来事を整理することが必要でした。


自分の記憶の一つ一つを時系列で並べていきます。

実際に起きた出来事と、

その時に感じたこと…を頭の中の映像をたどりながら思い出していきます。

そこで、私は

はっきりと「これは事実としてあった出来事だ」というのと、

「あれ? こんなことあったと思うけど、いまいち確証がない…」など、

事実の記憶と、あやふやな記憶が混在しているのに気付きました。

中には、ある人の表情やしぐさから「あの人はこう思っていたはず」など、自分で付け加えている部分があるのにも気づきました。

そして、

「その時に感じた感情はこんな感じで…」と思い出すと同時に、今もその感情が湧き上がり、いえ、むしろ、今の方がそれに付随する記憶がプラスされ、胸の痛みを強く感じたと思います。


それらを、文章にするために、私は客観的に分析、整理しました。


すると、いろいろなことが分離して考えられるようになりました。

事実だと思われる記憶、自分の感情、自分の憶測、他人の表情や部屋の中などの映像‥‥‥などなど。(ここで他人の感情のほとんどは自分の憶測であることに気付きました)


そして、文章には、なるべく事実だと思われることと映像の記憶を綴り、憶測や今の感情は排除するように推敲していきました。

なぜなら、私が文章に残したかったのは、「こういう事実が私を傷つけ、それがこうゆうふうに希死念慮や自己否定になっていった」ということが書きたかったからで、そこに、憶測や今の感情を加えることは焦点がぼやけてしまう気がして、嫌だったんです。


ハッピーエンドで終わらせたその話は、私のインナーチャイルドに新しいストーリーを加えてくれました。

心理学や脳科学でいうと、記憶の構造の変化にあたるのでしょうか。後に、この経験をいろいろな角度から見てみると、それぞれの分野で説明ができ、それもさらに面白みを追加してくれました。

その結果、私のインナーチャイルドは私に統合され、彼女が私を困らすことはなくなりました。

そうですね…、彼女は私が思い出すまで現れませんし、今のように彼女に思いを馳せると、彼女はいつも草原でお花を摘んでいます。私が呼びかけると、無邪気に振り返って、笑顔でそのお花を私に差し出してくれます。

希死念慮も、“死”は“生”の一環となり、

自己否定はどこへ行ったやら、今では自画自賛が止まりません。

                                    

                                     

これが、今の私の原点、

第5チャクラの要求する"自分だけの独自なメッセージを世に発すること"の原点です。

使命に沿った行動を起こすとき、それに必要なパワーと情報と人材とお金は、必要な分だけ与えられます。(これは、次回、詳しくお話しします!)

そうでなかったら、到底、私は本を完成させられなかったです(笑)

後ろ側の第5チャクラが活性化され、今まで滞っていたエネルギーが流れ出し、「ようやく気づいてくれたのか!」と魂は喜び、パワーが溢れだしたのでしょうね。

そう、お風呂場で感じたそれは、まさに喜びのパワーに満ちたエネルギーという感じがぴったりです。


これがその本たち。



昔の自分を抱きしめてあげたい!という一心で作り上げた本。

編集者さんとのやり取りの軌跡、昔の自分に新しい記憶を追加してくれた記念の品たちです。

本は、近いうちに皆さんに読んでいただけるように計画中です。

いらないって‥‥‥?

まあまあ、そうおっしゃらず…、その際は、ぜひお目汚しくださいませ。




次回は、チャクラと生命エネルギーが、誕生から死に至るまで、どういう変化をしていくのか、という視点から見ていこうと思います。

閲覧数:34回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page