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執筆者の写真雅 -masa-

音叉セラピストの見た音の風景 vol.6 /旧約聖書と、18世紀スペイン国王フェリペ5世に見る音楽の癒し 

・ダビデとサウル


旧約聖書に登場する有名なエピソードの一つに、サウル王が悪霊に悩まされ、若者ダビデの竪琴によってその苦しみが和らぐという物語があります。


物語の中で、サウル王は神に背いたことで神に選ばれなくなり、悪霊に苦しむようになりました。その苦しみを癒すため、彼のしもべたちは良い音楽を奏でる者を見つけ、その音楽で悪霊を追い払うことを提案します。


ダビデは美しい音楽を奏でる竪琴の名手であることが知られていました。


サウルがダビデを呼び寄せると、ダビデは竪琴を手に取り、神聖な音楽を奏でました。


以下は、ダビデの竪琴による演奏に関する聖書の一節です(口語訳、『サムエル記上』16:23より)


そして、ダビデが竪琴を取り、手に持って奏でると、サウルは軽快な心を得て、良い気分になり、その悪霊も去ってしまった。


ダビデの竪琴の美しい調べがサウルの心を和ませ、悪霊を追い払ったのです。ダビデの音楽は癒しと平和をもたらし、サウルを苦しみから救ったのです。



このエピソードは、音楽が心に及ぼす力と、神に仕える者の特別な役割を象徴しています。ダビデの竪琴がサウルの苦しみを癒す奇跡的な瞬間は、聖書の中で信仰と音楽が結びつく美しい瞬間として記されています。


左:サウル 右:竪琴を弾くダビデ




・ファリネッリとフェリペ5世


18世紀、イタリアのアンドリアという町にカルロ・ブロスキ・ファリネッリ(1705~1782)は生まれました。ファリネッリは18世紀最大のカストラート歌手といわれ、その音域は3オクターブ半あったといわれています。


当時イタリアではオペラが盛んで、子供のうちに去勢をし、ボーイソプラノを目指す家庭は少なくありませんでした。変声期を迎えると彼らはカストラートと呼ばれるようになります。カストラートは、子供のうちに去勢することにより、声帯の成長を防ぎ、変声期をなくすため、ボーイソプラノ時の声質や音域を持続することができます。一方で、骨格や肺活量の成長は成人男性とほとんど変わらず、声のトーンや歌声の持続力は未成年や女性歌手では再現できないといわれています。


ローマ法王は男の子をカストラートにする風習には再三禁止命令を出しますが、我が子を名歌手にしたいという親の願望は留まることなく、20世紀の初めまで、カストラートはヨーロッパの音楽界で活躍していました。


ファリネッリは、15歳の時にナポリでデビュー、17歳の時既にボーイソプラノ歌手としてイタリアやウィーンで活躍し、25歳にはヨーロッパで当代一の歌手として知られていました。

彼の歌い方は華麗さと技巧を合わせたもので、聴衆を魅了するに充分魅惑的であり、その美声と発声技術で、女性はしばしば失神したなどの記事がヨーロッパ各地に残っています。


彼が32歳の時、当時のスペイン国王であったフェリペ5世は鬱に悩まされていました。

王妃はファリネッリの名声を聴き、王の病気をファリネッリの歌で治そうと、ファリネッリを王室に招きました。

ファリネッリは王のために4曲の歌を歌いました。

まもなくしてフェリペ5世は職責を果たすことができるまでに回復したのです。

その後、ファリネッリは年俸5万フランで王の歌手として宮廷に仕え、王が死ぬまで、毎晩その4曲の歌を歌ったといわれています。


ファリネッリ



フェリペ5世

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